NYダウ平均株価の続伸記録(歴代)

順位 続伸記録 期間 概要・背景
1位 14連騰 1897年
5月~
6月14
【創生期のご祝儀相場】
ダウ平均が創設されてから約1年後。

当時のニューヨーク市場では時価総額の半分以上が鉄道株だった。19世紀も後半に入り南北戦争が終了すると、ニューヨーク市場においても多数の鉄道会社が設立され、それに伴い鉄道証券が大量に発行されるようになった。それまで取引の中心であった国公債から、次第に鉄道株にシフトしていった。

ダウ平均は1896年5月26日から算出を始めた。初めは12銘柄だった。ゼネラル・エレクトリック(GE)のほか、鉄道やガス、精糖、綿実油メーカーなどで構成されていた。ダウ・ジョーンズの共同創業者チャールズ・ダウ氏が考案した。

これに先立ち、鉄道株指数が一足早く1884年にスタートしていた。

当初、鉄道株指数は20銘柄で構成されていた。鉄道株20銘柄のうち18銘柄が鉄道株で、その他には太平洋郵船会社、それに電報会社であるウエスタン・ユニオンがメンバーだった。

株式市場全体の動きを表す指数の開発を進め、1896年に「工業株平均」の算出を新たに開始したのだった。段階的に銘柄数を増やした。

工業株の構成銘柄が30銘柄に拡大されたのは1928年。

構成銘柄は時代の趨勢(すうせい)を映し、当初の農業や鉱業、鉄道から、鉄鋼や化学、自動車やハイテク、小売り、金融などが中心になった。

当初の工業株12銘柄のうち現在もダウ平均に採用されているのは1社もない。最後の1社として残っていたGEは、2018年に除外された。 2012年に保険会社のユナイテッド・ヘルスが加わり、食品加工会社のクラフトフーズが除外された。2013年には投資銀行のゴールドマン・サックス、クレジットカードのビザ、小売りのナイキが加わり、アルコア、商業銀行のバンク・オブ・アメリカ、事務機器のヒューレット・パッカードが除外された。
2位 13連騰 1987年
1月2日~
20
【ブラックマンデー前のバブル】
期間中の上昇率は10.99%だった。終値の最高値を12営業日続けて更新した。歴史的な2000ポイントを突破した。さらに7営業日で2100ポイントも突破した。

レーガン政権の後期で減税や規制緩和を背景とする好景気が持続していた。激しい上昇相場は夏まで続いた。

その後の1987年10月19日にブラックマンデー(暗黒の月曜日)が起きた。史上最大の暴落率を記録した。

参考:
ブラックマンデー

レーガン大統領
13連騰 2023年
7月10日~
26
【まぐれ?薄氷の連騰劇】
36年半ぶりの13連騰。期間中の上昇率は5.29%。記録的な連騰のわりには、やや小幅な上昇にとどまった。

途中の10、17、18、21、25、26日にも立会中マイナスとなる場面があった。引け値ベースでも50ドル未満の上昇が3回あった。うち1回はわずか2.51ドル高だった。薄氷の連騰劇だった。

ダウ連騰期間中のNASDAQ(ナスダック)は9勝4敗。この間の騰落率も5.29%高対3.41%高でダウの強さが目を引いた。従来のグロース一辺倒からバリュー優勢に転じた流れが見られた。

同じ期間の日経平均は5勝7敗(1休場)で、0.86%高にとどまった。
4位 12連騰 2017年
2月9日~
27
【トランプ相場】
いわゆる「トランプ相場」。単なる12連騰というだけでなく、終値の最高値を12営業日続けて更新した。

ドナルド・トランプが同年1月に大統領に就任した。2月28日に行う施政方針演説を控え、期待ムードが高まった。選挙公約の一つだった大規模インフラ整備などが注目された。

この後の3月1日には、2万1000ドルの節目を初めて突破した。

2月27日の終値:2万0837ドル44セント

参考:トランプ大統領
12連騰 1970年
1119日~
12月7日
【リセッション終焉相場】
期間中の上昇率は8.5%だった。

アメリカ経済は、1969年12月から1970年11月まで景気後退(リセッション)に陥った。

そのリセッションが終焉のタイミングで起きた連騰だった。

12月7日の終値:818.66
6位 11連騰 1991年
1218日~
1992年
1月3日
【FRB利下げ相場】
期間中の上昇幅は約300ドルに達した。

期間中の最終日には、6営業日連続で史上最高値を更新し、初めて3200ドル台に乗せて引けた。

1992年12月20日の米公定歩合の1%引き下げに端を発した。予想を上回る大幅な引き下げだった。

これに先立つ11月15日に株価が急落していた。その後は発表される経済指標に反応して一進一退を繰り返す神経質な取引が続いていたが、大胆な利下げ(金融緩和)を受けて、短期金融商品の金利も大幅に低下。資金が株式市場に大量に流れ込んだ。

この後も、上昇の勢いは衰えなかった。

1月3日の終値:3201ドル48セント
11連騰 1929年
5月~
6月8日
【大恐慌前のバブル】
1920年代バブルの最終局面。

第一次世界大戦後の不況の底入れ後の1921年夏、株価は長期的な上昇相場になった。

米国は債権国となって繁栄した。共和党のハーディング大統領(1921年3月~1923年8月)、続くクーリッジ大統領(1923年8月~1929年3月)は、自由経済を推進した。政府がビジネスに関与しない「不干渉主義」を貫いた。

さらに、1927年8月、公定歩合が引き下げられた。一気に投機マネーが膨らんだ。土地投機も横行した。大物相場師の暗躍や偽情報、空売りなど、証券取引所は野放し状態になっていた。

この3か月後の1929年9月に株価の暴落が始まり、翌月10月から大恐慌に陥った。

参考:ハーディング大統領